バブル期のテレクラやツーショットダイヤルを振り返る!

日本が最も好景気だった時代のツーショットダイヤルやテレクラとは!

1980年代~90年代は日本が最も繁栄した時代「バブル景気」

ジュリアナ東京

店舗型のテレフォンクラブ(テレクラ)やツーショットダイヤルが流行っていた時代は日本経済が最も好調だった、80年代中盤から90年代前半と言えるでしょう。

 

それまで日本の女性たちは抑圧され閉鎖的でした。しかし好景気により、社会へ進出する女性達が増えてきたのもこの時です。パワースーツと呼ばれる厚い肩パッドの入った原色スーツで出勤するOLが街中を闊歩していました。

 

更にジュリアナ東京と呼ばれる巨大ディスコが大流行!ワンレンボディコンに身を包んだGAL達が一晩中扇子を振り回して踊り狂っていたのです。今思い出しても狂った世界でした。少しでも目立ちたい女性はノーパンでお立ち台に上がり、パイパンのビラビラを露出しながら踊っていましたしね...

 

この時代はとにかく人々がアクティブでした。テレクラやツーショットダイヤルも大盛況で繁華街には実に多種多様なテレクラが存在していたのです。

こんなにあったテレクラ店舗!

バブル時期に流行っていたテレクラを思い出してみましょう。まずテレクラ激戦区と呼ばれた新宿です。今ではリンリンハウスの独占状態でしたが、当時はライバル店も多数ありました。プラスワン新宿店、With新宿南口店、アップルハウス、Be!BOX、マハラジャ歌舞伎町店、ニューアリエス、ハーレクインロマンス、そして現役であるリンリンハウスやバレンタインコール、ざっと思い出すだけでもこれだけのテレクラが存在していました。

 

当時のテレクラブームは首都圏だけではありません。全国各地に個性豊かなテレクラが存在して、多種多様なニーズに沿った出会いを求める男女で大盛況だったのです。

ツーショットダイヤルもバブル状態でした!

店舗型のテレクラと同様のサービスが電話で楽しめるツーショットダイヤルも勿論大盛況でした。雑誌などには「テレホンマッサージします」「ラブホテル生中継!」「SEXフレンド紹介」「あつあつコール」「電話でデート」「男とオンナの伝言ダイヤル」など欲求不満な男女を挑発するキャッチコピーが踊っていました!

 

特徴としては当時はPHSや携帯電話もまだまだ一般には出回っていない時代でした。ですので公衆電話とテレフォンカードの存在感が物凄かったのを思い出させてくれます。上野公園や池袋、渋谷などでは怪しげなイラン人が偽造テレフォンカードを良く売りさばいていましたね(笑)よく考えると、あんなのが堂々と許されていたなんてつくづく当時の日本はバブルだったんだな~と切ない気分になっちゃいますね。


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